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ウムでの1日


 初日のオルタレゴでの半日は、「夏休みのおばあちゃんちにいるみたいだな」という印象でした。

 そして、ホームページ上の情報から想像するだけでは、私には難しく、
「障害者福祉オルタレゴ」のことは相当時間をかけないと分からないかもしれないと感じました。
「仕事」=作業をしたりといった、工賃につながるようなことを行うことが多い中で、
掃除をしたり、昼食の準備をしたり、お茶をしたりする日常は、とても新鮮でした。
行っていることは特別なことではないけれど、生活の動き(買い物や料理や、
自分だけの時間など)を丁寧に過ごすとあっという間に時間は過ぎていくのだと
感じた初日でした。

 しかし、「障害者福祉オルタレゴ」として、ねらいがどのようなものなのか、
どうしてこの様な1日の送り方をしているのか初日は分かりませんでした。
いわゆる作業と呼ばれる活動をしないということは、
オルタレゴに来ているみんなを子どものように捉えているからなのだろうか。
「仕事をしなくていいよ、そのままが素晴らしい」という姿勢が、言葉を選ばずにいうと、
甘やかすことに似た思いからきた姿勢なのではないかな、と感じました。
それくらい、私にとっては、あの1日を毎日過ごすということは印象的でした。
終わりがない夏休みのような。

 2回目に行ったとき、いわゆる仕事をしないということが、
どのような思いからきたものなのか、ウムでの時間の過ごし方、
過ぎ方を伝えていただき、もやもやとしていた頭の中が、ほぐれました。
ウムのみんなの景色の見方や、苦しいとき、もどかしいときの言葉の選び方や、独特のチューニング方法。
これまでの私は一度も経験したことがない「見方」や「捉え方」を
ウムのみんなは知っていて、それを私たちのような、知らない人達に
素晴らしさや面白さを伝えるために、ウムはあるのかもしれないと考えました。

 どちらかというと、適応障害、発達障害、自閉症スペクトラムのようなグレーゾーンが
幅広いものにつく障害名で呼ばれる人たちから抽出することが多いのかなと感じました。

 肢体不自由や、機能障害と呼ばれる人たちも、もちろん一人ひとりの感性や価値観は
素晴らしいと考えられますが…。

 うまく表現できる部分が少ないですが、取り急ぎ、2回の体験の感想とさせていただきます。


ノン(ボランティア)

ウムでの1日

#日々

2017/04/28


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